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トロッコ列車開業物語

トロッコ列車誕生まで
嵯峨野観光鉄道は、JR山陰線の複線化によって使われなくなった線路の観光利用を目的として、平成2年(1990)、社長以下スタッフわずか9名で発足しました。もともとこの保津川渓谷沿いのルートは、渓流や奇岩など自然の創りだす素晴らしい景観を車窓から楽しめる路線として知る人ぞ知る名所でしたが、観光資源として特に注目されていたわけでもありませんでした。そこに観光列車を走らせるということ自体、賛否両論がある中、事業はスタートしました。
廃線後しばらく放置されていたため、レールは錆び、枕木は腐り、路肩は崩れて草が生い茂るという荒れ放題。スタッフ全員が「本当に列車を走らせられるのか」と呆然としました。ですが、たった9名で、ではなく9名だからこそ、大企業にはない強いチームワークが生まれ、沿線整備と企画・営業活動にスタッフ一丸となって取り組みました。
工事中の写真
開業時のトロッコ列車写真
鉄道事業の大前提である「安全であること」に加えて、その名の通り観光鉄道としてお客様により美しい景色を見ていただき、旅を楽しんでいただくことも大切です。そのため、事業発足初期から、荒廃していた沿線の美化に取り組みました。
整備・清掃はもちろんのこと、桜守・佐野藤右衛門氏の協力を得て桜の植樹をしたり、楓の苗を植えてまわりました。それらの木々が大きく育ち、トロッコ列車沿線は桜や紅葉の名所として皆様に少しは知っていただけるようになりました。
植樹時の写真
こうしてさまざまな準備が整い、平成3年(1991)4月27日午前9時35分、トロッコ列車第1号列車は出発しました。乗客数は、当初の予測、年間23万人をはるかに超え、初年度から69万人を数えました。うれしい「誤算」でしたが、それだけに開業後の人手不足は深刻で、スタッフだけでなく社長も、車両・線路・施設の保守点検、切符の販売・改札業務、果てはトイレ掃除まで何でもしなければなりませんでした。
せっかくお越しくださるお客様に楽しい旅をご提供したい、ただその思いで、スタッフ全員が「おもてなしの心」を共有しトロッコ列車を走らせてきました。
開業テープカットの写真
さらなる向上を目指して
開業以来二十有余年、より安全に、より楽しんでいただくために、さまざまな取り組みをしてきました。自然をもっと身近に感じていただける窓ガラスのないオープン車両「ザ・リッチ号」の運行、駅舎の整備や駅ショップ、お体の不自由な方にもご利用いただける施設の充実、乗車待ちの時間も楽しんでいただくための19世紀ホールやジオラマ京都JAPANなどのアミューズメント施設の開設、季節をより演出するストーブ列車の運行やライトアップなど、始めてのお客様にもリピートのお客様にもその時々で楽しんでいただけるよう、企画しています。
2013年度以降現在では年間100万人を超えるお客様にご利用いただくまでに成長させていただきました。これからも、皆様に「安心して四季折々の保津峡の絶景を楽しむことができる観光鉄道」「山紫水明の感動を体験・実感できるオンリーワンのトロッコ鉄道」を目指して、全従業員が、力を合わせて研鑽をしてまいりたいと思いますので、今後ともご愛顧の程よろしくお願い申し上げます。